「母親が許せなくて苦しい」その気持ちを肯定することから始めてみませんか?
東京・青山の心理カウンセリングルーム「はこにわサロン東京」の吉田(臨床心理士・公認心理師)です(オンラインカウンセリング・電話カウンセリング受付中)
まもなく母の日ですね。いまどこにいっても母の日ギフトでいっぱいです。
お母さんを亡くしていて、感謝を伝えられない方には、寂しい気持ちを思い返す時期になりますね。
一方、母親が生きていても感謝の気持ちを伝えられない苦しみを感じている人もいます。
母親から無視されたり、虐待されたり、見捨てられたり、そんな辛い思いをしながら大人になった。
この辛さを訴えても当の母親にはまったく通じない。
カーネーションを見る度に、「ありがとう」と言えない自分を責めてしまう。
そんな辛さ。
そもそも、母親とは天使でも女神でもなく、弱さを抱えた生身の人間。
それなのに、「母は子を愛するものだ」・「だから子は母親に感謝するものだ」と行事化(商業化)されるとすこし息苦しい気持ちになります。母親の立場からしても、慈母でありたいと願いながらも、かならずしもかなわないときがある子育てで、理想の母を求められると、苦しい思いをするのではないでしょうか。
人間だれもに善い面・悪い面があるように、母親にも善い母親の面と悪い母親の面があります。そのバランスとして、善い面が悪い面を1ポイントでも上まわっていれば、それでよいのだと思うのです。(「ダメなお母さんでも大丈夫!な理由」に書きました。)
昔話や神話のなかに、悪い母親がたくさん描かれているのは、こころの中の暗闇を意識化する知恵だったのではないでしょうか。どんなものがあるか、ひも解いてみましょう。
物語の中の悪い母
子どもが成人するとき(白雪姫やシンデレラの場合)
悪い母というのは、よく継母として描かれます。
よく知られているところでは、白雪姫やシンデレラに登場します。
でも、もともとの伝承では生みの母親だったことをご存知ですか?
たとえば、グリム童話ですと、グリム兄弟が「生母が白雪姫を殺すというのはあまりにも話として酷いから、継母にしておこう」と書き直したと言われています。(高橋健二、『グリム兄弟』)
そう、わたしたちは誰しも、悪い母親・母親の中の闇を受け容れ難いのです。
ちなみに、白雪姫とシンデレラでは、娘が大人になろうとするときに悪い母が登場します。つまり、娘(や息子)が成人していくときに、親というのは「悪者」として体験される、ということなのかもしれませんね。
また、子離れがとても辛いときに、子どもの自立を阻む親=子殺しとして、物語られているのかもしれません。
子を産み育てる辛さ(イザナミや鬼子母神)
古事記にイザナギ・イザナミという夫婦が登場します。イザナミは、火の神を生んだときに火傷をして死んでしまいます。
鬼子母神は、自分の子どもを育てるために栄養をつけなければならず、同じ数の人間の子どもを捕らえて食べたとされています。
子どもを産み育てるという仕事をやりぬくためには、自分(らしさ・人生)が死ぬか、自分自身を食い尽くさなければならない場面もあると思うのです。
もちろん、これ程の思いはしない人もいるでしょう。でも、生身の子どもを、責任もって育てるということは、ときに大きな犠牲を強いることがあるのではないでしょうか。とくに、環境が整わない中で子育てでは、養育者(母にしろ父にしろ)の犠牲はとても大きくなります。
捨てられた子ども(ヘンゼルとグレーテル、手なし娘)
ヘンゼルとグレーテルのお話では、兄弟が森のなかに置き去りにされます。
手なし娘では、娘は捨てられるときに両腕を切り落とされてしまいます。
「そんな酷いこと!」と思われるかもしれませんが、現実にも(残念ながら)あることです。
親から捨てられた子どもは、なんとかして自分で生き抜かねばなりません。
それは、もちろん大きな絶望と困難を伴います。
ヘンゼルとグレーテルは、魔女に食べられそうになりながらも、自分たちの機転で助かります。
手なし娘は、手がないので、自分の世話をすることもできませんが、伴侶を得て、自分が子育てをするときに、子どもを危険から救うために手が生えてきます。
見捨てられた子どもの再生
手なし娘の物語では、自分の子どもを危険から救うために手が生えて来た。めでたし、めでたしと描かれています。
この物語を「傷ついた娘が母となり子育てをすることで、傷が癒えて手が生えた」と読みとるのは、すこし乱暴です。親を反面教師に、よい母親(父親)になる願いを実現するのは、簡単ではありません。
悲しいことに、負の連鎖(親からされたことを、自分が親になって子どもにしてしまう)が起きることもあります。
「母を嫌い」だと思う自分を責めないで
親から充分な愛情を受けられなかった。
無視されたり、酷いことを言われたり、暴力を受けたり。
「生まなきゃよかった(あんたなんていなければよかった)」と言われたり。
親の求めるいい子でなければ認めてもらえなかったり。
兄弟の中で格差があったり。
生まれたときから虐待を受けて、保護されて育ったり。
それでも、子どもは親を愛したいし、愛されていると感じたい(それがあたりまえ)。
でも、それもかなわないことがある。
そんなときに「親が嫌い」と思うことは、自然なこころの動きです。
どうぞご自分を責めないでください。
けれど、こんな気持ちを持ち続けるのもとても辛いことです。
カウンセリング(心理療法)を通じて、親子関係の見直しと整理を試みてもよいのではないでしょうか。
お母さんを許せない気持ちがあってもかまわない
わたしたちは、白雪姫のお話の中ですら、母親の子殺しを許容し難く感じます。
自分自身の母親が、白雪姫の継母のようだったら、受け容れ難いのは当然です。
そのため辛い思いを封印してしまうこともよくあります。
けれど、封印していても、折に触れて(たとえば母の日に)ぎゅっと心臓を掴まれるようなそんな気持ちになってしまうのです。
カウンセリングを受けようと決心しても、辛い思いを言葉にすることで、その言葉にまた傷ついてしまうこともあります。
そのようなとき、箱庭制作をすると、イメージの中で辛さが表現されるので、直接的な傷つきが起きにくいように感じます。また、箱庭では、悲しさや苦しみが多面的に表現できるので、より全体としての治癒が生じるようだと思っています。(箱庭療法とは?)
もし、あなたが「お母さんを許せない」と感じていたら、まずは、その気持ちを肯定するところから始めてみませんか?