【100分de名著 河合隼雄スペシャル 第4回】現代を生きる私たち日本人の「私」とは何か?
東京・青山の心理カウンセリングルーム「はこにわサロン東京」の吉田(臨床心理士・公認心理師)です。
100分de名著・河合隼雄スペシャル、いよいよ最終回(第4回)です。(第1回・第2回・第3回もどうぞ。)
最終回のテーマは『「私」とは何か』です。
ユング心理学は西欧の文化や生き方に根ざした心理学ですから、隼雄先生は常に日本人(文化)との違いを意識する必要がありました。
第3回でご紹介したように日本の昔話や神話を通じて、その違いを理解してきた隼雄先生でしたが、日本と西欧では心理療法の中で目指す「ありたい自分像」も異なることに気づかされたといいます。
第4回では、隼雄先生が仏教との出会いを通じて、日本人の心をより深く理解していったこと、またその過程でご自分の「私らしさ」を見出していかれたことについて取り上げられています。
少し難しい部分もあるかもしれませんが、日本人の心を理解する大切な視点が紹介されていますから、ぜひ読んで見てくださいね!
まずは、番組でも取り上げられていた「賢者の薔薇園」および「牧牛図」という歴史的なイラストをご紹介します。
西欧の「賢者の薔薇園」と日本の「牧牛図」に見るありたい自分とは
隼雄先生は、西欧人と日本人の「ありたい自分像」の違いを理解するために、この2つのイラストを取り上げています。
名前やイラストを見ると、とても難しい感じがすると思いますが、イメージで理解すると案外とスッと入ってくるかと思います。
● 直線的に上を目指すイメージ
● 自分の中の生きられていない自分を見つけ出して、生きていく
● 循環する円のイメージ
このように、西欧と日本とでは、目指したい自分が大きく異なることがわかります。
というのもそもそも、「私」の質が西欧と日本とでは大きく異なるからです(まるで正反対です)。
日本人の「私」とは西欧の「私」とどう違うのか
では日本人の「私」とは、西欧の「私」とは一体どのような違いがあるのでしょうか。
数年前に「フランスでは赤ちゃんの時から個室を与えて育てる」という内容の本が話題になったことがあります。生まれた時から、ひとりの人間として尊重もするし、独立心を育てようとするのだということだったと思います。
一方、日本の場合は、住居事情もありますが、「親子が川の字に寝る」と言って親子は一緒に寝るもの・一体感が大事にされて来た歴史があります。
日本では、家族の中の一番目下の人間を基準に呼び名が決まりますよね。子どもができれば夫婦は「お父さん・お母さん」になり、夫婦の両親は「おじいさん・おばあさん」になる、というように。
つまり、西欧の「私」が、赤ん坊の時から「ひとりの人間」だとしたら、日本の「私」は「関係性の中の私」と言えると思います。
わたしたちの生活スタイルや教育は西欧化しつつありますし、社会経済活動もグローバル標準に合わせられています。それでも、やはりわたしたちのメンタリティ(心)は日本的な独自性を強く持っているように感じます。
例えば、独立心を育てようと西欧風に子育てをしていると、子どもが不安定になることも多いです。(幼少期は乗り切れての、のちの思春期で不安が倍増することもあるように感じます。)
例えば、個性的を大切にしようとしても、日本ではあくまで関係性を崩さない範囲での個性が求められるところがあるのではないでしょうか。
このように、私たちは好むと好まざるとにかかわらず、日本独自のメンタリティ(心)を未だ持っており、西欧的な価値観とのすり合わせを常に求められていると思います。
それは、まさに隼雄先生がかつて体験し、考えられてきたことと同じなのではないでしょうか。
明恵上人との出会い
実は、隼雄先生は、第3回にも書きましたように、戦中戦後を体験したことから、科学・西欧への憧れが強く、日本神話や仏教のような日本的なものごとに対して不信感がありました。
一方で、ユング派分析家として日本で心理療法を行っていて、西欧とは異なる日本人の心のありようや、西欧人と日本人の求めていることの違いに困惑することもありました。
そんな時にユングに固執しないで、クライアントを通じて日本的なものへ心を開いていったのは隼雄先生の素晴らしいところだと思います。
そして、クライアントに寄り添う中で出会ったのが明恵上人という華厳宗の僧の記した『夢記』でした。
鎌倉時代の僧が夢を大切に記録し、夢を通して自分自身と対話していたことに隼雄先生はとても感激したと言います。明恵の夢を紐解くことから、隼雄先生は仏教を研究していくのです。
しかし、明恵との出会いは、隼雄先生に大きな課題を突きつけることにもなりました。
それは、自分はユングを師と仰ぎ心理療法をしているが、同時に明恵上人をも師と仰ぐ気持ちであり、それは「どっちつかず」や「いいとこ取りではないのか?」という葛藤でした。
その自分自身への問いかけに対し、個性化(自分だけの道)を大切にしたユングを指針とし、また、明恵が当時宗教組織から独立した立ち位置でいることをとても大切にしていたことから「明恵の弟子になることはできない」とも考えて、隼雄先生は「ユングと明恵上人を師と仰ぎつつも、どちらからも距離をおいた自分」を模索・確立していかれます。
この「曖昧さ」は、いい加減さや適当さではなく、自分が受け入れる多様なクライアントへの受容の広さとイコールなのではないか、と私は考えます。
第4回の元になった『ユング心理学と仏教』について
100分de名著・河合隼雄スペシャルの最終回は、『ユング心理学と仏教』(岩波書店)を元に紹介されています。これは、隼雄先生がアメリカで4回に渡って行った講義が元になっています。
河合俊雄先生は「比較的わかりやすい」とおっしゃっておられましたが、改めて読んで見て「やっぱりなかなか難解だぞ」と思いました。
でも、今回のシリーズをご覧になった方には、ぜひ一度手にとって読んで見ていただけたらと思います。
また、隼雄先生が明恵上人について書かれた本も、ぜひお試しいただけたらと思います。600年も昔に、これほど誠実に夢と向き合った日本人がいたことに、胸が熱くなります。