プロフィール
吉田美智子 Michiko Yoshida (臨床心理士・公認心理師)
はこにわサロン東京・代表
臨床心理士/公認心理師
東洋英和女学院大学大学院 人間科学研究科臨床心理領域修了 心理学修士
テンプル大学大学院経営学部修了 経営学修士
専修大学文学部英米文学科卒業
外資企業勤務後、心理臨床の道を志す。臨床心理士の資格取得後は、東京都・神奈川県・埼玉県スクールカウンセラー、教育センター相談員などを経て、2016年はこにわサロン東京を開室。
主な技法は、ユング心理学に基づいたカウンセリング、箱庭療法、絵画療法、夢分析。
所属学会: 日本臨床心理士会/箱庭療法学会
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こころの魔法に魅せられて
カウンセラーが自分自身について開示することには、メリットとデメリットがあります。メリットは、カウンセラーについて知ることが相談者の不安をやわらげること。デメリットは相談者に何か決まったイメージや期待を持たせてしまう危険があること。このメリットとデメリットを天秤にかけながら、このプロフィールを書いていきます。
会社員を辞めたあの日
2003年4月。わたしは勤め先を退職し、自由でした。
1989年春に社会人になって以来、どこにも所属しないのは初めてのことでした。
外資系企業でアシスタント業務から始めて、マネージャー職まで果たせるようになりました。「部長さんと課長さんはどっちがエライの?」「請求書ってなんですか?」などと言っていたわたしにしては上出来です。
最初の10年くらいは、ただただ無我夢中にやっていたのです。悩むこともありましたが、前を向いて成長することで乗り越えてきました。でも、次第に疲れと不安を抱くようになりました。
■ このまま続けていけるのかな?
■ わたしは、自分の仕事に満足しているのかな?
そんな風に感じたわたしは、「もっとやりがいを感じる仕事に転職」したり「習い事や旅行を楽しんだり」してみましたが、胸の中の空洞は広がるばかりでした。ですから、ある日、電池切れがおきたときには「あぁ、やっぱり」と思ったのです。
人生を変えた本
どこにも所属しない自由さを味わうことで気持ちが変わっていかないか?と期待しましたが、残念ながらそうはいきませんでした。
糸口を探して動き回っては電池が切れる、を何度か繰り返すなかで、偶然手にした本が答えをくれました。
『人間の深層にひそむもの』
河合隼雄先生は、高校の数学教師から心理学に興味を持つようになり、スイスのユング研究所というところで日本人で初めて資格を得た心理臨床家です。専門書だけでなく、一般の人にも読みやすい著作もたくさんあります。
この本の中に『ゲド戦記』をとりあげたエッセイがありました。
“ローバネリーというところの名産の織物が、見たところ以前と何も変わらないのだけれど、何かが欠けていると感じられる話が述べてある。
これは現代人の心の状況をうまく表しているものと思われる。衣食住すべてが足りているが、「何か」が足りない不安。それが現代人の感じている不安である。
言うなれば、この世界に目に見えない亀裂が生じているのである。(略)科学的・合理的であろうとしたわたしたちは、人間存在の全体性を忘却している”(下線は吉田)
社会人として自立することのみに囚われた結果、社会適応は良いが、自分のことを疎かにしていたのだな、と気づきました。
でも「全体性」って何だろう?
それを探すのが「私の職業だ」と河合先生は書いていましたので、「わたしもそれを探してみたい」と思いました。
心理学大学院時代
そうわかれば前へ進めます。派遣アルバイトをしながら心理を学び、東洋英和女学院大学大学院を受験、無事合格することができました。東洋英和は社会人大学院で、さまざまな年齢・キャリアの学生が学びます。「ひとりじゃない」と感じて心強かったです。
心理学の授業、毎週1回の実習(わたしは昭和大学藤が丘病院精神科に2年間お世話になりました)、大学院相談室での面接実習、それからゼミがありました。ゼミでは織田尚生先生に師事し、カウンセラーと相談者の相互関係を治療に役立てるカウンセリングや、箱庭療法、絵画療法、夢分析について研究しました。
修士課程2年間は、あっという間。専門家というには「ひよっこ」すぎて不安になりますが、いつまでも自分のスネを齧っていては立ち行かない。覚悟を決めて、就職活動をしてみたところ、ご縁があったのは小中学校でした。
スクールカウンセラーになる
30年ぶりに小学校・中学校に足を踏み入れた時は、懐かしさと、自分が支援者としてここにいることへの緊張感でほんとうにドキドキしました。
最初は何をしたらよいかよくわからないので、まずは、教室に出かけていて子どもたちや先生たちの様子を観察することにしました。すると、みんなの中に入れない子や、先生に叱られた子がいるので、「あぁ、なんかつらいよね」と気持ちを想像しながら近くにいる。すると休み時間にその子が話しかけてくるので、お話ししたり、一緒に遊んだり。先生から「ちょっと個別で話を聞いてやってください」と頼まれたりしました。
そこから更に、お母さんにつながったりするので、最初のうちは、子どもの気持ちを心理学で通訳して先生や親に伝える人をしました。先生や親にもいろいろな思いがあるから、それも聴かせてもらって一緒に考える、というような働きです。
スクールカウンセラーというと、「困っている子どもを、カウンセリングで立ち直らせる」みたいなイメージがある気がしますが、やってみると、先生や親への係わりが8割くらい占めるかもしれません。それくらい、子どもは環境に左右されやすく、環境さえ整えてあげられたら、ひとりでにいい感じで成長するものだ、と思いました。
学校でカウンセリングをすることは、オーケストラに参加すること、みたいなイメージがあります。各学年の先生方が異なる楽器を演奏し、校長先生が指揮をして、子どもたちが歌う、というような。スクールカウンセラーをイメージさせる楽器は、なんでしょう?主旋律じゃないけど、いると演奏が豊かになっていいよね、みたいなもの。
教育の場に心理の人が参加することの難しさもたくさん味わってきたけど、うまくいくとすごく面白い醍醐味も体験させてもらいました。でも、だんだんと自分の中に、ソロ活動がしたい気持ちが芽生えてきました。
ソロといっても、心理はひとりで演奏することはなくて、相談者さんと二人で演奏するわけですけど。
あるいは、能舞台のシテ(相談者)とワキ(カウンセラー)の関係といいますか。そういう「個人」に向き合うカウンセリングを、大学院では研究してきていたのだったよな、と思い出しました。
そのようなカウンセリングを行っている場(医療機関やカウンセリング機関)に職を求めてもよかったのでしょうけれど、何か自分の中に「そうじゃない」気持ちがたまり始めていました。
『ゲド戦記』に救われたあの日に感じたこと。社会の要請に応えて役割を果たすことも大切だけど、自分のこころの求めることに従うのも大事なんじゃない?という気持ち。
臨床心理士としての経験値はまだ十分ではないかもしれないけど、独り立ちしてみようと思いました。
「はこにわサロン東京」の開室
学校が夏休みの8月に、敷金礼金のかからない物件の中から、待合ロビーのあるところを探し(今の場所です)、IKEAと無印良品で家具を買って、それから何より大切な箱庭の準備をしました。
■ 箱庭療法というのは、木箱の中に砂を入れて、砂にふれたり、フィギュアを入れて遊び、表現する心理療法です。
■ もともとは戦争で傷ついた子どもたちを癒す目的でヨーロッパで始まりました。
■ 河合隼雄先生がスイス留学中に出会い、日本に紹介。半世紀にわたり医療機関や教育機関で広く使われています。
箱庭療法の特徴である「自由が守られる空間」「その人だけの表現を通じて、その人らしい治癒が生じること」をカウンセリングルームの理念にしたいと思ったからです。
「はこにわサロン」のカウンセリングで大事にしたいことは
50年くらい前は、日本は高度経済成長で、世の中も生活も右肩上がりによくなっていくのだと感じられていました。良くも悪くも役割が固定され(男女の役割、家族メンバーの役割、人生の流れ)、「言われた通りにやれば大丈夫」だったのです。
そのような価値観が少しずつ崩れてきました。信じた通りにはならなかったり、実現したのに空虚感があったり、人生のステージで大切にすることが変化したり。また、さまざまな事情を背負ってマイナスからスタートしないといけなかったり、突然、大きな出来事が生じたり。
心身が健やかで、信頼・相談できる家族や友人がいたら、その中で修復できることも、さまざま事情からそれが叶わなかったり、どうすればよいかわからなくて途方に暮れてしまうときもあると思います。
人生がうまくいかなかったり、病をかかえてしまうことは、誰の人生にも起こること。
ましてや、その人の責任ではありません。来室までに、悩み苦しんで、いろいろな試行錯誤を尽くしておられることがほとんどです。ですから、ここにきてくださったことをねぎらってお迎えしたいと思っています。
そして、その方だけのオリジナルな生き方を見つけてほしいと思います。成功とか、正しい生き方とか、そういう一面的な指標にとらわれない、自分が納得できる生き方を見つけてほしい。
その過程を共にできたら。
こころの全体性を目指して
わたしたちのこころの中にある少し扱いづらいもの。
たとえば、怒り。悲しみ。妬み。嫌悪。罪悪感や恥ずかしさ。
ネガティヴな自分。
このような感情や感覚を「なんとかしたい」と思ってカウンセリングに来てくださる方が多くいらっしゃいます。
はこにわサロンでは、このような「ネガティヴ」なものたちが、実は大切な自分の一部なのだと考えています。
ですから、切り離したり、見捨てたり、コントロールするよりは、言い分に耳を傾け、大切に扱い、自分の中に居場所を作って、苦痛ではなく共にいられるようにすることを描きます。
それが、「こころの全体性」獲得への道すじだと考えています。
■ 長所も短所も丸ごとひっくるめて、たったひとりの大事な自分と感じられるように
■ 思い通りにいかない毎日。でも、自分に「お疲れさま!」が言えるように
■ 自分を犠牲にすることなく、関係を結んだり、社会で活躍できるように
■ こころと身体、言動が調和するように
■ 変化を受け入れていけるように
■ しあわせを感じられるように。
こころを込めてお手伝いします。