カウンセリングの効果について
東京・青山の心理カウンセリングルーム「はこにわサロン東京」の吉田(臨床心理士・公認心理師)です。
今日は、カウンセリングの効果について書いてみたいと思います。
はこにわサロンの考えるカウンセリングの効果について
カウンセリングの効果は、相談の内容や相談者の期待・覚悟、相談を受ける側のセラピスト(カウンセラー)の技術・覚悟によって、浅くも深くもなると思います。
浅くてもよいカウンセリングもありますから、浅い・深いは、必ずしもカウンセリングの善し悪しとは関係ないと思います。けれど、深いカウンセリングの期待と覚悟があるときに、セラピスト(カウンセラー)の技量が対応できなければ、残念だと思います。
また、カウンセリングに対する期待も「思いのたけを吐き出させる場」という風に、誤解されていると思うこともあります。(カウンセリングの守られた場で、外ではお話できない個人的なこと、秘密をお話になることはあると思いますが、秘密を話さなければならないとか、ストレスを吐き出さなければいけない、というのは、誤解です。)
カウンセリングって(なぜ)話すだけで効果があるの?
一方で、こんな風に思っておられる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
「カウンセリングって、ただ話すだけで効果があるの?」
確かに話すだけで効果があるなんて不思議な感じがしますね。
「セラピストってただ黙って聞いているだけなんじゃないの?」
確かに、一見したところ、ぼんやり聞いているだけに見えるかも。
「黙って聞いているだけなら誰にもできるんじゃない?」
確かに、よくそう思われるようで、資格や訓練なしでもセラピストをなさる方も多いよう。
カウンセリングの一例
河合隼雄先生がこんな風に書いておられました。(『人間の深層にひそむもの』1979年)
あるとき、子どもの偏食に悩んだお母さんがカウンセリングにいらっしゃいました。お母さんがどんなに説得しても、お料理で工夫しても、お子さんがどうしてもニンジンを食べないのです。
お母さんはニンジンには子どもの成長には欠かせない栄養がつまっているから、なんとしても食べさせたい・その方法を教えて欲しいと言います。セラピストは「困りましたねー」と言ってお母さんのお話を聴きます。
一方、子どもにも話を聴いてみると「ニンジンなんて恐竜の糞だ!絶対に食べない!」と申しますので、セラピストは「そうなんだねー」とお話を聴きます。
こんな時、普通だったらどうしますか?
「うちの子も食べないわよー!」と慰めたり、秘策のニンジン料理を伝授したり、ニンジンの代わりになる食材をアドバイスしたりするでしょうか。子どもにも「ニンジンおいしいじゃない?なんで食べないの?」と聞いたり、「ニンジンを食べないと大きくなれないぞ!」と叱ったりするでしょうか。
さて、セラピストはどちらの話も「ふんふん」とうなづいて聴いているだけですが、面接室という守られた空間の中で、セラピストにお話しているうちに、「ニンジンは成長のための栄養の象徴だ!」と思いつめていたお母さんが「ニンジンが食べられなくても、ちゃんと成長している」と気づきます。
「糞なんか喰えるか!」と言っていた子どもも「なんだ(糞じゃなくて)ニンジンか」と思うようになります。
そうして、お互いに「そっかー、ただのニンジンだから、食べられたら食べたらいいし、駄目なら無理しなくてもいいわね」と折り合えるようになりました。
ニンジンを食べるか・食べないかなんて、大した問題じゃないと思われるでしょうか。確かに。でも、「ニンジンを食べさせないと子どもが栄養不足で死んでしまう!」と思いつめているお母さんに「ニンジンなんて食べなくったって大丈夫ですよ」と説明したり、「ニンジンは糞だ!」と思っている子どもに「好き嫌いするんじゃありません」と説得して、効果があると思いますか?
わたしは、ないと思います。
カウンセリングのすごいところは、セラピストに話しているだけで、ご自分自身が「あれ、ちょっと思いつめていたな」と気づいて、「ぼちぼちいこうか」と思えるようになるところです。
ニンジンカウンセリングのエピソードは、カウンセリングの本質を映し出していると思うのです。わたしは初めて読んだときに「セラピストって魔法使いだ!」と思って感激しました。
セラピストの聴く態度
セラピストは、ただ黙って話を聴いているように見えますが、セラピストのこころの中はけっこう目まぐるしく働いています。お話を丁寧に聴いて共感しながらも、同時に相談者の課題について冷静に分析しています。
相談者に影響されてセラピストにも強い気持ちが湧いてくることもありますから、それも合わせて冷静に把握・分析します。
セラピストの中に疑問点がわいてきたり、コメントしてみたいことが出てきても、問いかけやコメントは頃合いを見計らって慎重にいたします。相談者の自由なこころの動きに制限・影響を与えないためです。
また、相談者とカウンセラーの両者を守るためにも、安易な同情をしたり、カウンセリング以外の関係性を持ったり、身体に触れたりすることもしません。かなり厳しい制限が設けられています。このような態度で相談者のお話を聴き続けていく場(カウセリングの器)があって、初めて、ただ話すだけで「ニンジンはただのニンジンだ」と気づくことができるのだと思います。
このように臨床心理士のカウンセリングには、目に見えないところで様々なルール、制限、工夫、気遣いが設けられています。
が、それが気づかれないようにすることも、セラピストの力量なのだと思います。
カウンセリングの弊害
ただ話を聞くだけならできるから、とか、自分が何かの困難を克服した経験者だからとか、あるいは何かの専門家だから有用な助言ができるとか、そのような立ち位置でもセラピスト(またはカウンセラー)を名乗ることができます。けれども、訓練を受けていないセラピストには、目に見えないルールや制限を設けて守ることができません。
そのようなカウンセリングでは、一度お話を聴いてもらってすっきりしたとしても、一時的なものであったり、悪くするとそのセラピストを頼って何度も話さないでいられなくなったり、長期的には何ら解決・納得にいたらない、ということになってしまうのではないでしょうか。
ですから、心理の教育と訓練を受けた信頼できる資格を持ったセラピストとつながることが大切です。
臨床心理士について
(心理)セラピスト・カウンセラーには様々な名前や資格があります。
現状では「(心理)セラピスト・カウンセラー」と名乗ることに法律的な制約はないため、誰でも「(心理)セラピスト・カウンセラーを自称する」ことができます。
相手の話をただ黙って聴いていればよいのだから、「簡単で楽な仕事」、「誰にでもできる仕事」と誤解されることも多いです。
でも、本当にそうでしょうか?
人間が切実に困っていたり、苦しんでいるときに、目に見えないこころを扱うのです。
吟味されたガイドラインに沿って、相手の状態を把握し、カウンセリングが適当かどうか判断しなければなりません。
必要なときには医療機関などの外部機関をお勧めしなければなりません。
セラピスト自身の価値基準や思い込みではなく、相談にいらしたその方だけの、その人らしい生き方を共に模索することができなければなりません。地道で時間のかかる作業を、諦めずに、投げ出さずに、こつこつ続けていく。その過程ではセラピスト自身の姿勢も問われる(それがカウンセリングの成果に影響する)厳しい仕事です。
臨床心理士資格を取得するには大学院卒業+資格取得まで最低1年間が必要ですが、それは高学歴な資格というよりは、
それなりにハードでタフな訓練を受けることで、臨床の場でも腹を据えて相手と向き合えるようにしている
のだと思います。
目に見えない人のこころに真摯に向き合う専門家になるには、臨床心理士程度の訓練が最低基準だ、ということではないでしょうか。
もちろん、臨床心理士だから大丈夫なわけではなく、資格がなくてもよい臨床をしている方や、よいカウンセリング経験を持てた方もいらっしゃるかもしれません。でも、きっと、安心の基準にしていただけるのではないかと思うのです。
臨床心理士について、もっときちんと知りたい方はこちらへ → 日本臨床心理士資格認定協会
セラピストとの相性について
心身が弱っているときにデリケートなことを扱うので、セラピストとの相性も大きな影響力を持つでしょう。
たとえばこれまでに出会った学校の先生の中で、信頼できるなと感じた先生はどのくらいいましたか?
大雑把にいって、「ほとんどの先生は信頼できた」という方は比較的楽に相性のよいセラピストが見つかり、「ほとんどの先生は信頼できなかったけど、ひとり本当に信頼できる先生がいた」という方は、セラピストもそのひとりを見つけるまで時間がかかるのかなと思います。
相談者のニーズ、期待度、個性、好みなどによって異なるだろうと思います。
ですから、一度相性が悪かったとして諦めないでほしいと思います。
継続して相談するには相性がよくないと感じたとしても、他の相談機関やカウンセリングの方法・セラピストについてたずねてみてはいかがでしょうか。
信頼できるセラピストならきっと、その相談にものってくれると思います。
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