はこにわサロンまで続く道【その2】〜大切な本
東京・青山の心理カウンセリングルーム「はこにわサロン東京」の吉田(臨床心理士・公認心理師)です。
今日は、わたしが子どものころに愛読した本をご紹介したいと思います。
大草原の小さな家
これは、どなたもよくご存知なのではないでしょうか。
「TV派」と「本派」に分かれたような気がします。
わたしは断然、「本派」
この本を最初に手に取ったのは、5年生のとき。
インフルエンザで学級閉鎖になった日にちょうど学校の図書室から借りて来たのです。
ローラと家族(もちろん犬のジャックも含めて)が、新しい土地を求めて馬車で旅をしていく。
広い野原のまん中に「ここにしよう!」ととうさんが家を建てていく。
ほんとうに、わくわくしました。
わたしの中の、見知らぬ場所へ行ってみたい強い気持ちは、ローラの物語に影響されていると思います。
ちなみに、この本を書いたローラ・インガルス・ワイルダーさんは、実在の人物で、わたしのちょうど100歳年上の先輩なんです。(高校生のときに発見して、とてもうれしかった!)
ツバメ号とアマゾン号
6年生の夏休み。
何もやることがない(宿題はやってないけど)ある日、はじめて市の中央図書館に行きました。
その頃、小学校の学区外にひとりで行ってはいけないルールがあり、中央図書館は学区外。
自分でもどう見つけたのかよく覚えていないのですが・・・。
ともかく。
それは木造のすてきな図書館でした。
すっかり大人になった気分で本棚をみていって、偶然みつけたのがこの本。
イギリスの湖で、子どもたちが自分たちだけで帆船をあやつって冒険遊びをするのです。
湖の島で子どもたちだけですごすキャンプ生活のなんと楽しそうなこと!
食べもののおいしそうなこと!!
かたゆで卵や牛乳のような、ありふれたものですら、特別な食べものに聞こえます。
『ツバメ号とアマゾン号』では、ツバメ号乗組員の4人兄弟とアマゾン号乗組員の2人姉妹が、湖の島をめぐって戦うのですが、最後にはすっかり仲良くなって、この6人で続く11冊シリーズの冒険をしていきます。
いちばん年長のジョンやナンシイが確か12〜13歳の設定なのですよね。大人の手は借りるけど、大人とも対等に渡り合う。それがとてもかっこいいと思いました。
赤毛のアン
中学1年生の、これまた夏休み。
クーラーの入っていない家の中で一番涼しいのは、日の当たらない小さな応接間でした。
(昔の家には応接間がありませんでしたか?家庭訪問に来た先生はここで話をするのです。そういう部屋。本棚とステレオ、ピアノ、椅子が2脚に小さなテーブルでぎっしりの狭い部屋。自分の部屋がなかったわたしにとって、応接間は、わたしのテリトリーでした。)
応接間の本棚に母が読んだ新潮文庫の『赤毛のアン』が置いてあったのです。
毎日、午前中は部活動に行って、午後は応接間の床に腹這いに寝転んで『赤毛のアン』を読みました。
思春期に入り、親との間もしっくりいかず、精神的に”みなし子”だったわたしに、”みなし子”のアンは分身のような気がしました。
そして、いつかカナダのプリンス・エドワード島に行きたい!と熱く思いました。
おいしそうなものがどっさり!
ローラとツバメ号とアンに共通していること。
それは、おいしそうなものがどっさり出てくること!
わたしは、メニューの名前と作り方を書き写したお料理ノートを作って持っていましたよ。
そうしたら、同じ思いを持った人がいたのでしょうね。
お料理の本が出版されたのです!
町の本屋さんに並んだその本をどんなに憧れの思いで眺めたことか!!
お値段も高かったので、お年玉などで、1冊ずつ買っていきました。
大人になって、自分の台所を持つようになったら、ひとつずつ作ろう♡と夢見ました。
(すぐには作らないところが・・・苦笑)
ご紹介した本
もし、気になるものや、なつかしいものがあったら、ぜひ、お近くの図書館で探してみてくださいね!
シリーズの中でもこの本が一番好き!
『大草原の小さな家』をわたしは、いつもローラの視点で読んできました。
それが東日本大震災のあと、停電も続く頃にこの本を読み返したくなり、読んでみてしみじみと、暗闇の心細さ、とうさんが無事に帰って来たときの安堵と喜び、そしてとうさんとかあさんが、どれほど必死に家族を守ったのかが、ずしっと迫って感じられました。
かつて、わたしにフロンティアスピリットを教えてくれた『大草原の小さな家』は、こんどは家族指南書のようになりました。
『ツバメ号とアマゾン号』も同じです。この、13歳を頭に小学生の子どもたちに、湖の中とはいえ、自由に帆走したり、キャンプをしたりさせられるお父さんとお母さんの器の広さや、子育てへの自信(いやいや半分は不安もあったはず)にうなってしまいます。
そして『赤毛のアン』と、翻訳者の村岡花子さんは、今なおわたしの”腹心の友”であり続けています。
アンとともに大人になったわたしにとって、今いちばん共感するのは、母親のアン、人間のアンです。
自分が歳をとったこと、夫ギルバートが自分と結婚したことを後悔しているのではないかと疑心暗鬼になるエピソードは身につまされます。
そして、アンは大切な子どもを戦争で失うのですが、それだけは嫌だ!という強い思いが湧いてくるのです。
ほんとうに、これらの本については、語り尽くせない気持ち(感謝でいっぱい)です。
ちなみに、ここには書いていませんが、箱庭療法や心理療法をしているときにも、物語はとてもとても重要・重大な役割を果たすことがよくあるのですよ。それはまた、いつか、改めて。
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