ハラスメントや自己否定の原因?昭和のマルトリートメント(不適切な関わり)とは
東京・青山の心理カウンセリングルーム「はこにわサロン東京」の吉田(臨床心理士・公認心理師)です。
「人を暴力や恐怖で支配してはいけない」と言ったら、わたしたちは「そんなの当たり前」だとわかります。
でも、昭和の時代には、けっこう「普通」「当たり前」に横行していたのですよね。
そのため、昭和世代を中心に、
■自分に自信が持てない、自己否定してしまう
2つのタイプの方がおられます。
昭和の時代に、家庭や学校で「当たり前」に行われていた不適切な関わり(マルトリートメント*)について振り返り、何が問題だったのか、これからどのように修正すればよいのかについて考えたいと思います。
*マルトリートメントとは
英語で「マル=悪い」「トリートメント=扱い」つまり、望ましくない子育て・不適切な関わり方を指します。暴力をふるう、パワハラはもちろん、無理強い、過度なダメ出し、不安で支配する、「NO」が言いにくい雰囲気など、相手の成長・尊厳を妨げる不適切な扱い全てを含みます。
「普通に」「当たり前」に育ってきたのに不適応になる方々の存在
「昭和の当たり前はマルトリートメントだったのではないか?」と考えるようになったのは、「普通」に育ってきたのに、不安が強い、自分に自信がない、どれだけやればよいかわからず燃え尽きる、人と比べて辛くなる、などと悩んでおられる方々がとても多いと感じたからです。
ご自分では、「家庭でも学校でも、とりたてて大きな問題が起きたことはなく、”普通”だった」とおっしゃるのですが、よく聴くと、現在では不適切とされている体験があり、それを周りに相談できなかったり、相談しても「甘えるな」「乗り越えろ」と言われ、相談した自分を責め、うまくできない自分を責めてきた。
一見、「普通」で上手に社会適応しておられますし、たゆまぬ努力の結果、社会的に成功しておられるが、自分のことを肯定できない。自信がない。
逆に、暴力や暴言、力による支配で、嫌な思いはしたものの、「それが社会で通用するコミュニケーション」と誤って身に着けてしまった場合は、自分も同じ方法で人を支配します。
力の支配と努力で高い成果を収めるものの、陰で嫌われていたり、信頼されていない、居場所がない。
すると当然「正当に評価されていない」怒りが湧きますし、同じことができない人への見下し、力の支配がエスカレートします。
このように大人になっても不全感を抱えずにはいられなくなってしまった昭和のマルトリートメントはどんなものだったのでしょう?
マルトリートメント① 暴言暴力・力の支配、脅しの支配
NHKの連ドラ再放送で『芋たこなんきん』をやっています。
昭和30年代に主人公の町子(田辺聖子さんがモデル)と健次郎(病気で亡くなった妻との間に子どもが5人)が結婚して起きるさまざまなドラマが描かれています。
先日、「昭和」的な場面があったのでご紹介します。
健次郎の三男タカシ(6歳)は、町子が直木賞を受賞して新聞雑誌に掲載されているのを見てびっくりしました。
というのも「新聞に写真が載るのは悪いことをした人だ」と聞いたことがあり、「町子は悪い人で、お父さんや兄弟はそれを知らない」と思い込んだのです。
それで、新聞・雑誌に町子の写真が載っているとそこをこっそり破り取っていました。
一方、なんとなく挙動不審なタカシを見守っていた健次郎でしたが、あからさまに町子を避ける態度を見兼ねて、タカシの背後からいきなり大声で「タカシっ!言いたいことがあるならはっきり言え!」と怒鳴る。
タカシはビクッとして固まってしまう。
このように大人が子どもに対して、正しいことを教えるために怒鳴る、ということは、昭和でよく見られました。(残念ながら今も残っているかもしれませんね・・・)
この対応の何が不適切かというと、大人が子どもを不要に脅している点です。
こんなふうに後ろから怒鳴りつけなくても、普通に「どうした?なんか心配事ある?」と聞けばそれで済みます。
それなのに、なぜ怒鳴るかといえば、「怒鳴る」は親の愛情の印、真剣な気持ちの表れとして昭和では理解されていたからです。
しかし、怒鳴られた側が感じるのは恐怖です。自分がした行為の反省(これが親が求めていたこと)では済まず、「こんなに怒っているのは自分が悪いからだ」と自己否定を始めます。
このような子どもの態度を「しつけの効果」と大人が誤解して、暴言暴力によるしつけがエスカレートしてしまうこともよく生じていたと思います。
(例えば、大人に怒鳴られて怖くて泣いているのに、暴力行為で無理やり黙らされる、など。)
子どもに起きるのは「あきらめて適当に聞き流す」か「都度、恐怖に襲われる対処として感覚や感情を凍らせる・切り離す態度を身につける(解離)」かです。
しつけの効果は、ゼロですよね。
このような不適切な行為が、親や先生など、子どもにとって身近で、本来なら子どもを丸ごと受け入れ愛してくれる存在から行われると、子どもにとっては「安心・信頼の剥奪+虐待」の二重の苦難となります。
(発達性トラウマ・複雑性PTSD・愛着障害・アダルトチルドレンなどと呼ばれます。)
「自分には効果的だった」という意見もあるかもしれませんが、それは「あれは愛情なのだ」という自分への言い聞かせが成功しているだけです。
「力で支配しないで、どうしたら躾けられるのか?」という疑問をお持ちの方もおられるでしょう。
子どもを育てる・理解させるときに、最も有効な方法は、本人の様子をよく観察しながら、適切な時に、本人にわかるように伝えることです。
子どもですから、一度で伝わることは少ないですから、忍耐強く、育む、見守ること。この態度が「愛情」です。
このように接して育てると、子どもが一番安心して育つ(大きな器を作れる)し、信頼関係が育ちます。
手間がかかるけど、大きな実りが期待できますね。
昭和の当たり前「力の支配」をやめる4つの方法
①正しい知識を得る
まずは、正しい知識を得ることが大切です。
●それはなぜしてはいけないのか?
●適切なやり方を学ぶ
正しい知識は、ハラスメントを減少させることがわかっています。
② ハラスメントしていることに無自覚な場合
自分がハラスメントをしていることに無自覚な場合は、身近な人に話しを聞いてみましょう。
どんな時に、どんな風に、しているのか。
まずは自分を知ることで、反省・改善点が見つかります。
③ 衝動的にハラスメントしてしまう場合
周りの人を「心理的なゴミ箱」にしている自覚を持ちましょう。
どんな時に衝動が生じるのかふりかえり、回避策を検討しましょう。
また、イライラや怒りを人にぶつけずにリリースする方法をいくつか見つけて実行しましょう。
やってしまったら、きちんと謝ることが大事です。(謝ればよい、という意味ではありません。念の為。謝罪をきっかけに、何がいけなかったのか真剣に振り返り、自分に修正をかけるきっかけにするためです。)
修正しようとしていることを周囲に伝え、理解と協力を得られると、防止しやすくなります。
④ カウンセリングを利用する
ハラスメントがいけないのはわかっているが、本音では不満があり、またこうしなければ自分はうまくふるまえない・自信がないと感じる場合は、カウンセリングを通じて自己理解や癖の修正に取り組むことをお勧めします。
というのも、自覚していないかもしれませんが、ご自分自身にも暴力・ハラスメントによる恐怖体験があって、それがトリガーとなって、恐怖体験を打ち消すために支配的な言動をとってしまうことがあるからです。
このような場合は、心理の専門家と協働することが解消の近道です。
マルトリートメント② 過剰なダメ出しによる自己否定・自信喪失
先日、自分が中高生の頃の通知表を目にする機会がありました。
成績はさておき、目を引いたのは先生と保護者からのコメント欄です。
ダメ出しに次ぐダメ出し。特定の科目の成績の悪さに言及しているものもあれば、「自覚が足りない」「努力が足りない」「主体性がない」「もっと○○するべきだ」など。
確かに大人が望むタイプの生徒ではなかったので、批判やむなしではあります。
でも、当時、わたしはわたしなりに、がんばったり、悩んだり、いっぱいいっぱいになりながら過ごしていたと思います。ですから、もし今の自分がコメントするなら「がんばっているね」という承認と「こんな風にできるといいね」と改善点・方向性の提示じゃないかな。
大人側も、実は悪意あってやっていたのではなく、常により高いところを目指してほしい、努力を重ねてほしい、という気持ちだったのだろうと思います。
たくさんダメ出ししてもへこたれずに前向きに努力し続ける子どもが理想とされたのですね。
しかし、常なるダメ出しは「今のあなたじゃダメだ」というメッセージです。
親・先生のように身近な大人からいつも「今のあなたじゃダメだ」と言われ続けたら、無力感や自己否定感を持つのも自然の帰結。
大人の言う通り頑張れないと感じた人は「自分はダメだ」と自信を失い、頑張って目標達成した人は「まだまだ足りない、もっと頑張らなければ」と自己否定する。
その結果、抑うつ、社交不安、引きこもり、強迫性障害のように、こころを病んでしまうことが生じたりします。
過度なダメ出しは、相手を傷つけ、破壊してしまうことだってある、ということをわたしたちは理解する必要があります。
自己批判をやめて自己肯定感をとりもどす4つの方法
①自己批判の原因がマルトリートメントにあったと理解する
まずは、エンドレスな努力や自己批判が昭和のマルトリートメントによる刷り込みであると理解することが大切です。
自己批判を繰り返す態度を教えてくれた人が自分にとって大切な人だったとしても、その方法は、適切ではなかったのだと理解するのです。
大切な人を非難しなければならないわけではありません。
逆に、大切な人を非難したい気持ちが湧いてきても、それは自然な感情ですから、呑み込まないでください。
②自分を振り返る
一度、ご自分の過去を振り返ってみませんか?
学校時代、就職してから、どんな風に過ごして来たのか。
親の期待、先生の期待に応えるためにどのように頑張ってきたのか。
親の期待・先生の期待に応えられない自分は「ダメだ」と思っていなかったか。
自分は本当はどんな性格で、何が好き(何が嫌い)だったのかについても考えてみてください。
素の自分を思い出せるといいです(実はのんびりや、競争は嫌い、とか。)
また、これまで頑張ってきた自分自身に「本当によく頑張ってきたよね!お疲れさま!」の労いを。
③ 自動的に自己批判を繰り返すことも
このように、頭で理解し、自分の今までを振り返ることで、頑張りすぎや自己批判の癖を手放せるとよいのですが、手放せない場合もあります。
自己批判することで、日々をしのいできた場合です。
「自己批判依存」と名づけてこちらで説明していますので、よかったら読んでみてください。
④ カウンセリングの力を借りる
自己否定・自信のなさが、自分の大切な大人との関係の中で生まれ・続いてきた場合、自分だけではうまく手放せないこともあります。
そのような時は、カウンセリングを利用するのもひとつの方法です。
肯定的な関係性の中で、心理の専門家と一緒に恐怖に紐づく経験を振り返り、解消していきましょう。
まとめ
わたしたちが今の時代に「不適切だ」と感じる力による支配や過剰な批判が、実は昭和の時代には当然のように家庭でも学校でも行われていたのではないか、ということについて、お話しました。
「もう長年にわたってこんな風に生きてきたのだから変えるなんて無理だ」と思われるかもしれません。
でも、それが自分自身や大切な人を傷つけてきたのかもしれません。
自分が変わるのに「遅すぎる」ことはありませんから、どうぞ、ご自分をふりかえり、今となっては不適切な方法だったかもしれないけど頑張ってきた自分をねぎらい、勇気を持って修正してくださることを心から願っています。
はこにわサロン東京では、そんな試みのお手伝いをいたします。
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