なぜ、嫌なことばかり覚えているの? ネガティビティ・バイアスの心理学
東京・青山の心理カウンセリングルーム「はこにわサロン東京」の吉田美智子(臨床心理士・公認心理師)です。
楽しいことがたくさんあった一日なのに、たった一つの嫌な出来事が頭から離れない。
10人から褒められても、たった1人から言われた批判が気になってしまう。
あるいは、過去の失敗や恥ずかしかった出来事を、何年も経ってから突然思い出して、嫌な気持ちになる。
こんな経験はありませんか?
実は、人間の脳には、良いことよりも悪いことに注意を向け、強く反応し、記憶に残しやすい傾向があります。これを心理学ではネガティビティ・バイアスと呼びます。
今回は、このネガティビティ・バイアスがなぜ生じるのか、私たちの心や人間関係にどのような影響を与えるのか、そして、どうすればネガティブなことに振り回されずに過ごせるようになるのかについて、お話ししたいと思います。
ネガティビティ・バイアスとは?
ネガティビティ・バイアスとは、同じくらいの強さのポジティブな情報とネガティブな情報があったとき、ネガティブな情報のほうを重視しやすい心理的傾向のことです。
たとえば、職場で上司から「今回の資料、よくできていたね。ただ、ここだけ事実確認しておいて」と言われたとします。
褒められたのに、「ここだけ事実確認して」という指摘が気になってしまう。「事実確認という基本部分に漏れがある自分はダメなんじゃないか」「上司もそう思っているんじゃないか」とネガティブに受け取って落ち込んでしまう。
あるいは、友人と楽しく食事をして、たくさん笑って過ごしたのに、帰り際に友人が少しそっけなかったことが気になり、「何か気に障ることを言ったかな?」と考え続けてしまう。
友人は単に疲れていただけかもしれません。しかし、楽しかった時間よりも、最後のちょっとした違和感のほうが強く印象に残ってしまうのです。
心理学者のBaumeisterら(2001)は、「Bad Is Stronger Than Good(悪いことは良いことよりも強い)」という有名な論文で、さまざまな心理学研究を検討し、悪い出来事や否定的な情報は、良い出来事や肯定的な情報よりも強い影響を与える傾向があると論じています。
もちろん、誰もが必ずそうなるわけではありません。しかし、ネガティブな情報に敏感になることは、人間に広くみられる傾向なのです。

なぜ、人間はネガティブなことに敏感なのか?
なぜ、私たちはネガティブなことに敏感なのでしょう?
理由の一つとして考えられているのが、人間が生き延びるために、危険を素早く察知する必要があったということです。
たとえば、大昔の人間が森の中で食べ物を探していたとします。おいしそうな果実を見つけることは、もちろん大切です。しかし、近くに危険な動物がいることに気づかなければ、命を落としてしまうかもしれません。
食べ物を一つ見逃しても、また別の機会があるかもしれませんが、危険を一度見逃しただけで、取り返しのつかないことになる場合があります。
そのため、利益を得ることよりも、危険を回避することを優先する仕組みが、生存に役立ってきたと考えられています。
現代社会では、日常的に猛獣に襲われることはありません。それでも私たちの脳は、危険や損失、拒絶などの可能性に敏感に反応します。
たとえば、誰かの不機嫌そうな表情や、ちょっとした批判、将来の失敗の可能性なども、脳にとっては注意を向けるべき情報になり得ます。
つまり、ネガティビティ・バイアスは、単なる悲観的な性格ではなく、自分を守るために役立ってきた心理的な仕組みなのです。

ネガティビティ・バイアスが心に与える影響
ネガティビティ・バイアスは、危険を回避するうえでは役立ちますが、現代の生活では、かえって私たちを苦しめることもあります。
① 自分の欠点ばかりが気になる
仕事でうまくできたことがいくつもあっても、一つの失敗ばかりを思い出してしまう。「あれもできた、これもできた」と考えるより、「あれができなかった」と考えてしまうのです。
こうした傾向が強くなると、自分の能力や価値を実際よりも低く評価してしまうことがあります。

② 人の悪いところばかりが目につく
パートナーが普段どれだけ協力してくれていても、たった一度、約束を忘れたことが許せない。友人がいつも親切にしてくれていても、ちょっとした無神経な発言が忘れられない。
相手の良いところが見えなくなると、不満や怒りが積み重なり、人間関係にも影響が出てきます。

③ 将来の悪い可能性ばかり考える
新しいことに挑戦しようとしても、「失敗したらどうしよう」「人から笑われたらどうしよう」と、悪い結果ばかり想像してしまうことがあります。
失敗の可能性を考えること自体は必要ですが、そればかりに注意が向くと、挑戦する意欲が失われてしまうかもしれません。

ネガティビティ・バイアスには個人差がある
ここまで説明すると、「私は特にネガティブなことばかり気になる」と感じる方もいらっしゃるかもしれません。実際、ネガティブな情報への敏感さには個人差があります。
もともと不安を感じやすい人や、ストレスが強い状態にある人は、脅威に関する情報に注意が向きやすくなることがあります。また、過去にいじめや虐待、繰り返される批判などを経験してきた人は、他人の表情や声の調子、否定的な言葉などに敏感になっている場合があります。
たとえば、子どもの頃、親の機嫌が悪くなると怒鳴られたり、厳しく叱られたりしていた人にとって、親の表情や声の変化に気づくことは、自分を守るために重要だったかもしれません。
その経験から、大人になっても、相手のちょっとした表情の変化に敏感になり、「怒っているのかな」「嫌われたのかな」と考えやすくなることがあります。
このような場合、単にネガティビティ・バイアスが強いというだけでなく、過去の経験から学習した警戒反応や、トラウマに関連した脅威への敏感さが関係している可能性があります。
つまり、ネガティブなことが気になるのは、必ずしも性格が暗いからでも、考え方が悪いからでもなくて、それまでの人生で、自分を守るために身につけてきた反応が関係している場合もあるのです。

ネガティビティ・バイアスに振り回されないための4つの工夫
それでは、どうすればネガティブな情報に振り回されずに過ごせるようになるのでしょうか。
① ネガティビティ・バイアスに気づく
まず大切なのは、「今、自分は悪いことばかりに注意を向けているのかもしれない」と気づくことです。
たとえば、誰かに批判されたとき、「やっぱり自分はダメだ」と結論づける前に、「これは一つの指摘であって、自分のすべてを否定されたわけではない」と考えてみます。
ネガティブな情報を無視する必要はありません。ただ、それが全体の一部分にすぎない可能性に気づくことが大切です。

② 良かったことにも意識的に目を向ける
私たちは、嫌なことは自然に思い出せても、良かったことは意識しなければ見過ごしてしまうことがあります。
そこで、一日の終わりに、良かったことを三つ思い出してみるのも一つの方法です。
「おいしいコーヒーを飲めた」「仕事が一つ片づいた」「友人と楽しく話せた」など、小さなことで構いません。
これは、無理にポジティブになるためではありません。悪いことだけでなく、良いこともあったという、よりバランスの取れた一日を振り返るための練習です。

③ 事実と解釈を分ける
ネガティブなことが気になったときには、実際に起きたことと、自分がそこから想像したことを分けてみましょう。
たとえば、「友人からLINEの返事が来ない」は事実です。しかし、「嫌われたに違いない」は解釈です。
返事が来ない理由には、忙しい、疲れている、返信を忘れているなど、さまざまな可能性があります。
ネガティビティ・バイアスが働くと、私たちは悪い可能性を重視しやすくなります。だからこそ、ほかの可能性にも目を向けてみることが役立ちます。

④ 心と身体の疲れを回復させる
疲れているときや、強いストレスを感じているときには、物事を悲観的に捉えやすくなることがあります。
そのようなときに、無理に考え方を変えようとしても、うまくいかないかもしれません。
十分な睡眠をとる、休息する、散歩する、安心できる人と過ごすなど、心と身体を休ませることも大切です。
特に、常に周囲を警戒しているような状態にある人は、考え方を変えることだけでなく、安心できる環境や関係を増やしていくことが助けになる場合があります。

ネガティブなことに気づく力も、大切な力
最後にお伝えしたいのは、ネガティビティ・バイアスそのものをなくす必要はないということです。
私たちが危険に気づき、失敗から学び、問題を改善できるのも、ネガティブな情報に注意を向ける力があるからです。
大切なのは、ネガティブなことを考えないようにすることではなく、ネガティブな情報だけで、自分や他人、そして人生のすべてを判断しないことです。
嫌なことがあった一日にも、良いことはあったかもしれません。失敗した自分にも、できていることはたくさんあるかもしれません。誰かの嫌な一面を見たとしても、その人には別の一面もあるかもしれません。
ネガティビティ・バイアスについて知ることは、無理に前向きになるためではなく、物事をもう少し広い視野で捉えるための第一歩です。
ネガティブなことが気になったときには、「これは全体の一部分かもしれない」と、少しだけ視野を広げてみてください。

