箱庭療法をはじめたカルフが心理学を学び始めたのは45歳でシングルマザーになったとき
東京・青山の心理カウンセリングルーム「はこにわサロン東京」の吉田(臨床心理士・公認心理師)です(オンラインカウンセリング・電話カウンセリング受付中)
箱庭療法って、まだまだ日本ではあまり知られていません。
でも、子どもにも大人にも、気分転換にも深い癒しにも活躍するすばらしい方法なので、身近に感じてもらえたらいいなぁと思っています。
今日は、箱庭療法をはじめたドラ・カルフさんをご紹介したいと思います。
わたしがカルフさんをとても身近に感じたのは、カルフさんが心理学を学び始めたのが45歳だということ。(わたしは38歳のときでした。)
そのときカルフさんは、3歳と10歳の男の子を連れて離婚し、シングルマザーとなって子どもたちを養わなければならなかったと知って、わたしはますます尊敬の気持ちでいっぱいになりました。
いつの時代も、誰にとっても(女性にとっても、お母さんにとっても、シングルマザーにとっても)新しいことを始めるのに遅すぎるなんてことはないんだなーと思います。
ドラ・カルフさんの生まれた1904年はどんな年か
ドラ・カルフさんは、1904年にスイスのチューリヒ湖畔に生まれました。生家は裕福で、全寮制の女学校に通い、サンスクリット語や中国語を学ぶ好奇心おう盛な少女だったそうです。
ちなみに、日本では、作家の幸田文さんや料理家の辰巳浜子さんが1904年生まれです。
1904年生まれというと、10歳のときに第一次世界大戦、35歳のときに第二次世界大戦(41歳で終戦)というとても困難な時代を生きた女性たちだということがわかります。
ドラさんは29歳でオランダ人の銀行家と結婚してオランダに移り住み、35歳で長男、42歳で次男を出産していますが、子育てはまさに戦争の最中。オランダの家をドイツ軍将校に占領されたために、ドラさんは子どもを連れてスイスに帰国しましたが、この別居がきっかけで45歳で離婚。シングルマザーとなるのです。
ドラ・カルフさんが心理学を学び始めたきっかけ
シングルマザーとなって子育てをしていたドラさんの長男(ペーターくん)が仲良くなった子ども。それが、ユング氏(ユング心理学のユングさんです)の孫だったことがきっかけで、ドラさんはユング夫妻に出会います。
ママ友というわけではありませんが、子どもを通じて出会うというのもなんだか親近感がわきますね!
ドラさんはユング研究所というユングの心理学を学ぶところで、心理学の勉強や研修をスタートするのです。それが、冒頭にも書きましたが、45歳のときのことでした。
ドラさんの次男マーチンは、ドラさんが心理学を学び始めたときに、「苦難に満ちた人生の経験全てが心理学を学んでいく下地となったと」言っています。
「子ども向けの心理療法をやってみないか?」
ドラさんは、子どもを育てるのが上手な女性だったそうです。
その様子を見込まれて、ユング先生から「子どもを相手にする心理療法をやってみてはどうか?」と提案されます。
でも、師匠であるユングは大人の心理療法をしていましたから、子どもの心理療法については、ドラさんが自分で考え出さなければならなかったのです。
転機となったのは50歳のとき。おそらくは偶然、イギリス人の小児科医、マーガレット・ローエンフェルト先生がスイス・チューリヒで行った講演会を聴きにいったことでした。
マーガレットは、砂箱とミニチュア人形を通じて子どもの心を理解する試みをロンドンで行っていました。ドラは52歳でロンドンに1年間留学していて、その間、どん欲にさまざまな心理療法について学び、意見交換をしています。
こうしてドラがたどりついたのが“Sandspiel(サンドスピエール)”、英語にすると”Sandplay”(サンドプレイ=砂遊び)です。
箱庭療法のハートは砂遊びにある
ドラの開発したサンドスピエールは日本語では「箱庭療法」と名付けられました。
名前はすこし固めになりましたが、もっとも大事にしてることが「遊び」であることは、変わりません。
ドラは、「人間は、遊ぶことで自分の全体性と近づく」と言っています。
つまりは、心を自由に遊ぶことで、人は自分らしさを回復できるということ。
ドラのセラピールーム
ドラが箱庭療法を行っていたセラピールームは、とても素敵なところです。
それは、1485年(!!)に建てられた小さな家です。
(年代的には金閣寺や銀閣寺がそのまま残っていてそこをセラピールームにしているかのようです!)
重たい木の扉を開けて中に入ると、大きな暖炉があります。
もう、ここでくつろいでしまいたくなりますが、やはり家中を探検したくなりますよね。
子どもたちは階段をよじ登って2階に行ったり、地下室を探検することもできました。
遊戯室には、壁面いっぱいにミニチュアの人形が並んでいて、自由に遊ぶことができます。
もちろん、箱庭用の砂箱もあります。
その他に、折り紙や粘土など、子どもたちが楽しく遊べるような素材がたくさん置いてあります。
セラピーに連れてこられた子どもたちは、ドラが見守る中、家中を探検したり、絵を描いたり、粘土遊びをしたり、箱庭で遊んだりしました。
もっと攻撃的な遊びを好んだ男の子などは、ドラと一緒に空き瓶をがちゃんがちゃんを割って遊んだり、ダーツをしたり、それでも飽き足らずに、古い机を壊して遊ぶ子もいました。
ここでは、ドラが、その子にとって望ましいと考え、ドラが許容できると思ったら、自由な遊びをすることができたのです。
ドラが、遊びということをいかに大切に考えていたかがよくわかります。
箱庭療法の広まりとドラの横顔
箱庭療法は、残念ながら、ドラの住むスイスやヨーロッパではなかなか評価されなかったといいます。
(その代わり、日本やアメリカでは熱意を持って受け容れられ、広まっていきました。)
でも、ドラは前向きでした。
68歳のときに「箱庭療法の映画を作っている」と言っています。(なんてパワフル!)
そして、ドラの著作の日本語訳が出るにあたり「自分の写真が怖そうな顔に写っているのが残念だわ!」とコメントしています。(あぁ、こんな気持ちもよくわかる!笑)
ドラさんは1990年に86歳で亡くなりましたが、きっとこのチャーミングで前向きな生き方で、子どもや大人のために奔走されただろうと思います。
参考文献(とおすすめ本)