はこにわサロンまで続く道【その8】〜河合隼雄先生との出会い
東京・青山の心理カウンセリングルーム「はこにわサロン東京」の吉田(臨床心理士・公認心理師)です。
前回、英語を道具にマーケティングの仕事をする夢を叶えて喜んでいたのもつかの間、ある日突然こころがストップしてしまったこと。その後、会社を辞めて、自分探しをしていたときに、偶然、河合隼雄さんの本との出会いがあったことを書きました。
心理療法家は魔法使い
『ゲド戦記と自己実現』というタイトルのそのエッセイには、河合先生が「私の仕事というのは真の名を探す仕事で、(ゲド戦記に出てくる)魔法使いというのは私の職業ズバリじゃないかと思った」と書かれています。
われわれ心理療法家は困った人の相談を受けるけれども
実際には、夜尿の子がきたらその夜尿がとまるとか
学校へいっていない子がきたら学校へいくようにするとかいうのじゃなくて
そういうことを契機にしてこられた人の自己実現に関与していくのじゃないか。
河合隼雄『人間の深層にひそむもの』
自分の仕事に誇りを持てない
わたしは英語が好きで、英語を道具にして活躍したいと願い、自分なりに努力して、マーケッターとして一応の活躍をするようになりました。
「満足してしあわせに暮らしましたとさ」とハッピーエンドになってもよさそうですけど、逆にわたしが感じたのは空虚感でした。
たとえば、飲み物を売るということ。
安全でおいしい飲み物がどこでも手に入る。
わたしが開発した飲み物を「おいしい」と言って飲んでくれる人がいる。
それはすばらしいことだと思います。
でも、この資本主義の社会で安定的に飲み物を売り続けるということは、その陰で、人も物資もぎりぎりまで酷使されて、競争しなければなりません。
あるいは、国内においしい飲料水があるけれども、外国からもたくさんお水が輸入される。
ゴミも増えます。
いくらリサイクルしていると言っても、家庭で水筒に入れたお茶にはかなわない。
そんなことを考えてしまうのです。
なんだか自分のしていることに誇りを持てない自分がいる。
だから、「自己実現に関与して行く魔法使い」である河合隼雄先生に興味をひかれ、自分でもこの道を進んでみたいと思ったのだと思います。
河合隼雄先生
わたしが出会ったときは京都大学の名誉教授とか、文化庁長官とか、すごい肩書きをたくさん持っておられましたが、隼雄先生は最初から心理学をやろうと思っていたわけではありません。
京都大学で数学を専攻するも、数学ではトップになれないと悩み、大学を一年間休学されます。
悩んだ結果、「超一流の高校の先生になる」という目標を得て、最初は数学の先生になるのです。
そして、子どもたちのことをもっと理解したいという気持ちから、心理学を学び始めたのです。
その熱が高じて、31歳でアメリカに留学し、続いてスイスのユング研究所へ、37歳で日本に帰国されるのです。
このあと、河合先生は日本に心理臨床を伝え、根付かせていくわけですけど、30代後半までほぼ無名でおられたということは、わたしにとっては大きな驚きでした。
もちろん、そんなことは、ずっとずっと後になってから知ったことなのですが。
ユング心理学
このように、わたしは河合隼雄先生のエッセイをきっかけに、著書を読み進んでいく中で、カール・グスタフ・ユング先生を知ることになります。
河合先生は、ユング心理学の根本は「個性化」だとおっしゃいます。
ユングは、自分の思考だけでなく、無意識(自分ではコントロールできないところ)とも向き合って、自分だけの生き方を模索しました。
ですから、ユング心理学を学び、実践するということは、ユングの真似をするのではなくて、自分なりに、無意識まで含めた自分自身と向き合う生き方をする、ということではないかと思います。
この、求道ともいうべきあり方は、心理学というよりは、宗教(密教)を連想させました。
わたしは、あまり宗教に近しく生活をした経験を持ちませんが、なにか尼になるような、そんな気持ちになりました。
ほんとうの宗教的な生き方をされておられる方からしたら、半端なことだと叱られてしまうと思います。
でも、そのくらいストイックな気持ちでした。
東洋英和女学院大学で心理学を学び始める
当時の気持ちとしては、河合隼雄先生の直弟子に志願したいくらいの気持ちでしたが(スイスに留学することも考えましたが)、それもあまりに畏れ多いと思いました。
それで、隼雄先生と同じ、ユング派心理分析家という資格をお持ちの先生を探すことにしました。
これは、隼雄先生のように、スイスなどのユング研究所に学んで、資格を得た方のことで、当時、心理学の大学院で教えておられる方というと、そう多くはありませんでした。
わたしは、織田尚生先生のおられる東洋英和女学院大学に行くことにしました。
東洋英和はなかなかに厳しいところでした。
先生方も厳しかったし、学んでいる学生たちも、純粋な人が多かったです。
尼になった気持ちで入学したけれども、わたしには向いていないのではないかと何度も思いましたよ。でも、とにかく前に進むしかありませんでした。
なんとか、かんとか、ぎりぎり、すれすれで、東洋英和の修士課程を修了しました。
そして、その半年後に、臨床心理士の資格試験に臨み、なんとか心理士としてのスタートをきることになります。
さいごに
わたしの大好きな河合隼雄先生をはじめ、ユングや織田先生など、心理臨床家の魅力をお伝えしたいと思いましたが、とても力およびません。
もし、関心を持たれる方がいらっしゃったら、ぜひ、著書を読んでみてください。
今回は肝心の箱庭について触れることができませんでした。
次回こそは箱庭との出会いについて書きたいと思います。