【100分de名著 河合隼雄スペシャル 第2回】無意識からのメッセージを受けとめることで起きる大きな成長とは何か
東京・青山でユング派の心理カウンセリングを行っている、はこにわサロンの吉田です。
100分de名著・河合隼雄スペシャル第2回は、無意識から湧き出すイメージとして元型が夢やプレイセラピー(遊戯療法)のなかでどのように現れてくるのか、ということが、お話されていましたね。
ユングといえば元型、と言われるほど、代表的な考え方ですが、ちょっと難しいので、できるだけわかりやすく説明できたらと思います。
人間の意識には3つの引き出しがあります
ユングは、人間の意識には3つの引き出しがあると考えました。
上から順番に:
① 自我・・・自分でもわかっている自分
② 個人的無意識・・・自分でも気づけていない自分(いちいち気になって腹が立つ人のことが実は好きだったり、母親のことを愛していると思っていても実は恨んでいるというようなこと)
③ 普遍的無意識・・・人間が共通して持っているイメージ(父親は高い山、母親は大地や海というような人種を超えて共通したイメージ)
3つ目の普遍的無意識とは何か?
人種や文化を超えて共通するイメージ=普遍的無意識は、本人も気づかないうちに、絵や遊び、夢の中などにパッと表現されてくることがあります。番組で紹介された例を元にお話しします。
不登校の少年の夢
隼雄先生の紹介している例では、中学2年生の少年の夢が紹介されています。
【夢】クローバーの茂みの奥に巨大な肉の渦があるのを見つけた
少年はこんなに印象的な夢を見たことで、驚いてしまいました。しかし、隼雄先生は、この夢が普遍的無意識からのメッセージであることを理解します。
少年は、母なる大地に呑み込まれそうになって、動けなくなっていたのです。
この「母」は、少年のお母さんとは異なります。つまり、お母さんが過保護だったから、という理由(次元)ではない、もっと深い大地的・母なる海的な深淵なものに囚われていて、自立できないでいるのでした。
この例では、少年のお父さんに病があったことが説明されていました。弱い父親、必然的に強くならざるを得ない母親。ハンデのある家庭環境のなかで、少年がひとりの大人の男性として自立するためには、人類共通の自立の儀式を経なければいけないくらい困難な課題だったのだということです。
このような夢は、その意味を理解できる人が共にいることがとても大切です。この夢を見たときに、少年が独りだったら、夢にただ圧倒されてしまい、肉の渦に呑み込まれてしまう危険もあったのです。
ちなみに、こういう夢の体験(セラピー)はわたしも折々に体験します。
とても印象的な夢なのですが、夢をみたご本人はその重大さにはあまり気づくことなく(説明してもピンとこないことが多いのです)、それなのに、夢をセラピストと共有した後に、大きく変容していかれるのです。
番組の中で、河合俊雄先生が「わかることは、変わること」とおっしゃっておられましたが、まさにその通りで、理解するということはそれほどパワフルで意味深いことなのです。
新しい自分へ生まれ変わる夢
番組の中では、知性的な女性が感情表現ができるようになっていくきっかけとなった夢を紹介していました。
【夢】 幽霊協会から小さな声で電話がかかってくる。女性が「幽霊なんて信じない」というと、幽霊協会の人は「あなたは尖った硬い鉛筆さえあればいいんでしょ」と女性を煽ってきます。女性は思わず「尖った鉛筆なんていらない!」と言って電話を切ってしまいました。
隼雄先生は、「この幽霊が、相談者の女性の影だ」と考えました。というのも、この女性は、日常生活ではとても知性的で、合理的な考え方をする人だったのです。
ちなみに、「彼女は話し声が小さかった」という紹介がありました。どのくらい小さかったのかはわかりませんが、彼女が成長するに当たり、感情を切り離して、声は小さく生きてこなければならない理由があったのだと思います。その必然性からすると彼女は、困難な環境を生きてきた「サバイバー(生き残り)」であり「人生の成功者」であったはずなのです。
けれど、彼女の中のもう一人の彼女は、それでは満足しません。彼女が感情を表現できるようになることを求めているのです。
こういう事例もよくあります。このような方は、社会人としてはしっかり自立・役割を果たしていて、社会的には問題はないのです。けれど、彼女の中のもう一人の自分が「感情を表現できるようになりたい=もっと成長したい」と、彼女の自我にメッセージを送ってくるのです。
自分の中にある異性像
ユングは、男性も女性も、心の中には、自分と反対の性(異性)がいると考えました。つまり、男性の心の中には女性像(アニマ)、女性の心の中には男性像(アニムス)がいるのです。
同様にユングは、誰の心の中にも常に、白と黒、陰と陽のように、相反する要素があり、それが心をバランスしていないときや、バランスしようとしたときに、心に不具合が起きてくることを見出しました。けれど、その相反するものを自分の中に取り入れたときには、みんなが感激してしまうほど大きな成長をすることがあります。
【夢】ある男性が海の中から瀕死の少女を助け出す。裸の少女のために、自分の部屋に戻って洋服を探すが、どの服も小さい。
隼雄先生は、ここに出てくる瀕死の少女は、この夢を見た男性の「アニマ(女性像)」と理解しました。
おそらくこの男性は、きっと男性的な魅力があり、社会的にも成功していたのかなと思います。けれど一方で、女性らしさ(柔軟性や全てを包み込めるキャパシティなど)が大きく欠けていたのではないかと思います。
このように人が普段見せている顔のことをユングは「ペルソナ」と呼びました。ペルソナは、いまでは何となくネガティヴなもののように捉えられがちですが、ひとりの人間の人格が一つのまとまり(ペルソナ)を持っていることはとても大切です。
にも係わらず、ペルソナが固定化・一面化すると、心の奥から「殻を破ろう・成長しよう」という投げかけが起きるのです。
遊びの中に表現されることとは
個人的無意識・普遍的無意識からのメッセージは、子どもの遊びの中にも立ち現れてきます。番組ではある小学校低学年の子どものことが紹介されていました。
彼は知的障害があって、言葉でのコミュニケーションにハンデがあったと言います。その彼は、隼雄先生とのプレイセラピー(遊びを通じて心の深い治癒をもたらすカウンセリング)の中でこんな遊びをしました。
【遊び】 クマのぬいぐるみの首をロープでくくっては連れ回し、ロープを解くという遊びを繰り返した。
この子どもの家では迷い犬を保護していました。しかし、ある日、本当の飼い主が現れました。子どもは、寂しさを感じながらも、犬の首輪を外して、元の飼い主に返しました。
お母さんは、子どもがちゃんと犬を返すことができたことにとても驚きました。そして、「クマの首の紐を解く」という遊びが、子どもの喪失体験の表現であることを理解しました。
俊雄先生は、この事例にプレイセラピー(遊戯療法)のエッセンスが込められていると言っていました。つまり自分でクマ(犬)の首輪をとる遊びを通して、子どもは自分自身を解放していたのです。また、子どもは現実的には犬を失った側でありながら、遊びの中では解放される側でもあったのです。
このような立場の逆転は、遊びやイメージの中だからこそ可能になります。
元型とは?
ユングの言う「元型」について、番組で紹介された夢や遊びの事例を通して、説明しました。いかがでしたでしょうか。
② 幽霊協会=影
③ いつもの自分=ペルソナ、溺れた女性=アニマ
元型は他にも色々ありますが、「普遍的な無意識」レベルの、心の情緒的な動きを伴うことを指します。
いよいよ、日本人の心、日本文化について取り上げる第3回が放映されました。近々、またはこにわサロンのブログでご紹介しますので、ご期待ください。